茨城県北端の北茨城市にある五浦(いづら)海岸は、明治時代に岡倉天心はじめ多くの芸術家らを支えました。
天心の思索の場だった真っ赤な六角堂は、2011年、東日本大震災の津波によって流失してしまいましたが、茨城大学を中心に修復作業が進められ、創建当時の姿に再建されました。
五浦海岸は大昔、人類が誕生するよりずっと前の時代は、深い海でした。海の中で砂や泥が溜まって、固まり、大地の変動によって海から姿を現し陸地になりました。それが波の力で削られ、岩礁や崖ができて変化に富んだ美しい景色を見せてくれるのです。
1.亀ノ尾層

忘れじの碑近くの階段から海岸へ降りて少し歩くと、亀ノ尾層を観察することができます。この地層は縞模様をしています。灰色の触るとザラザラした層と、小麦粉を固めたような白い層。この2種類の層が何層も繰り返し重なっています。この地層は大昔に深い海の中で、細かい砂や泥がゆっくりとたまってできました。その年月の重みを感じてみてください。
2.九面(ここづら)層

ベンチがある公園の奥の階段を下りて岩がちな海岸に出ると、そこは九面層です。潮の引いているときには、ぼこぼことした岩の様子をよく見ることができます。硬い部分があまり削れないのでこのようなすがたをしています。この岩の中からは、多くの貝化石や海底に住む生物の巣穴の化石がよく見られます。またムカシオオホホジロザメの歯の化石も発見されました。階段付近にも白い貝化石があるので探してみましょう!
3.六角堂

茨城大学五浦美術文化研究所内にある六角堂。近代日本美術の発展に大きな功績を残した岡倉天心が晩年居を構えた五浦のなかで、六角堂は特に強いこだわりを持って作られました。 2011年の東日本大震災の津波により流失してしまいましたが、茨城大学を中心に修復作業が進められ、創建当時の姿に再建されました。
ここからの風景は、天心に何を思わせたのでしょう。また、天心はここで釣りを楽しんだそうです。現在は海岸侵食を防ぐために自然の岩の中に人口の岩が作られてあります。あなたは見分けられますか?
茨城大学五浦美術文化研究所内にある六角堂。近代日本美術の発展に大きな功績を残した岡倉天心が晩年居を構えた場所です。ここからの風景は、天心に何を思 わせたのでしょう。また、天心はここで釣りを楽しんだそうです。現在は海岸侵食を防ぐために自然の岩の中に人口の岩が作られてあります。あなたは見分けら れますか?
岡倉天心(1862~1913):近代日本を代表する文明思想家。東京美術学校(現東京美術大学)校長の職を辞して、明治31(1898) 年に弟子たちと共に日本美術院を創設しました。やがて、天心は五浦に居を構え、明治39(1906)年には日本美術院を再編成し横山大観ら四人の愛弟子を 呼び寄せ、日本画の近代化を目指しました。
茨城大学五浦美術文化研究所:観覧順路⇒①天心記念館(天心像や天心が釣りに使った船などが展示されている)→②ウォーナー像(ウォーナー は来日し岡倉天心に師事した人物)→③六角堂→④旧天心邸→⑤「アジアは一つ」石碑(天心はインドで一年間過ごした際に、法隆寺金堂壁画と、インド中部ア ジャンタにある壁画との類似性を見出した。それらの経験から生まれた言葉である)
■入場料 200円(小中学生以下は無料)
■開館時間 9:30~17:00まで(16:30入場締め切り)
■定休日 毎週月曜日(祝日の場合は翌日)国民の祝日の翌日、年末年始
■お問い合わせ TEL:0293-46-0766
4.よう・そろー

漁業歴史資料館「よう・そろー」では、海の伝統文化や漁業の紹介、また、市の魚「あんこう」の種類・生態・調理法などを展示していましたが、震災により営業を中止しています。
よう・そろー脇にある食堂は復活を果たし、北茨城の旬の味覚が楽しめます。お昼にぜひどうぞ!