2012年

9月

17日

茨城県北ジオパーク:ジオ学の大先輩「永田茂衛門親子」

久慈川と台地と田んぼ
久慈川と台地と田んぼ

 田んぼが黄色く色づいて、秋が間近に迫っていると感じられるようになってきました。

 

写真は、大宮段丘ジオサイトの辰ノ口(たつのくち)展望台からの景色です。茨城県北ジオパークを南北に流れ、常陸大宮市の南端付近から東に向きを変え、太平洋に注ぐ久慈川と、台地との間の低地いっぱいに田んぼが広がっています。

久慈川沿いの田んぼは、江戸時代のはじめ(約350年前)、当時の水戸藩で活躍した鉱山技師「永田茂衛門(もえもん)・勘衛門(かんえもん)親子」による 灌漑(かんがい)工事によってもたらされたものです。甲斐の国出身の永田親子は、もとは鉱山開発のため水戸藩に来ましたが、鉱山開発で磨いた土木・測量技 術を活かし、水戸藩内の水利施設の整備も行うようになりました。

 

そのなかでも、久慈川沿いの田んぼに水を供給するための辰ノ口江堰(えぜき)と岩崎江堰は、早い段階で彼らが手がけたものでした。江堰とは、川をせき止め る「堰(せき)」と、せき止めた水を下流に流す水路の「江」を合わせた言葉です。辰ノ口江堰は久慈川の左岸(東側)を、岩崎江堰は右岸(西側)の灌漑を担っています。

 

江堰の配置(背景地図は国土地理院の基盤地図情報(10mDEM)を使用しました。)
江堰の配置(背景地図は国土地理院の基盤地図情報(10mDEM)を使用しました。)

低地をできる限り田んぼにするためにも、水路は長く、そして緩やかに傾斜させる必要がありました。

 

この水路を通す場所として彼らが目をつけたのが、久慈川の両岸に分布する台地の地形を利用することでした。水路を台地のへりに通すことで、低地の起伏に左右されること無く、ゆるやかに傾斜する水路を作ることが可能になりました。

 

そして完成当初の水路の長さは15kmにわたり、さらに50年後には22kmまで延長されました。現在の水路の位置は当時とほとんど変わっていません。

 

現在の辰ノ口堰
現在の辰ノ口堰

そして堰も、固定式のものから現在のゲート式のものへと姿は変わりましたが、位置は大きく変わってはいません。これらの江堰は完成当時、日本最大規模であったと言われており、現在もこの地域になくてはならない重要な水利施設で在り続けていることからも、永田親子の技術の高さが伺えます。

 

永田親子はほかにも、日立鉱山(日立ジオサイト)や笠原水道(水戸千波湖ジオサイト)などで地形・地質を活かした開発に携わっており、茨城県北ジオパークを語るうえで欠かせない人物です。このコラムでは今後も、彼らの功績をジオとの関わりから紹介していきたいと思います。

 

(執筆・構成: 伊藤太久)

関連するジオサイト