日立ジオサイト

日立ジオサイト

日立市は日本でも有数の工業都市として知られています。その発展を支えていたのは、四大銅山の1つであった「日立鉱山」の繁栄と、太古から続くこの地域の「地質」でした。ポイント1・2では、日立鉱山の歴史や、鉱山町での人々の暮らし・文化に触れていきます。続くポイント3では、日本で最も古い地層を観察し、ポイント4では、全国でここしかないウミウの捕獲場を巡ります。このルートを通して、過去から現在に至る「地質と人々の共生」について探ってみましょう。

見どころ

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日鉱記念館

日鉱記念館

天正19年(1591年)から記録が残っている、日立鉱山の創業の歴史と、当時の鉱山町の人々の生活の様子に関する資料が展示されています。模擬坑では実物大の人形や機械があり、採掘の様子をリアルに見ることができます。

 

自動車 移動時間:自動車10分

 

日立武道館(旧共楽館)

日立武道館(旧共楽館)

東京の歌舞伎座を模して大正6年に立てられた日立武道館(旧共楽館)は、日立鉱山の従業員とその家族、地域住民のための娯楽場でした。昭和42年に市に寄贈されるまで、歌舞伎や歌謡ショー、映画会などが催され、常に人々の笑いや感動が溢れていました。さらに、西洋技術と日本の木造建築様式が融合したこの建物は、国の有形文化財に登録され、現在は武道館として有効に利用されています。

 

自動車 移動時間:自動車35分

 

日本最古の地層

日本最古の地層

ここでは日本に存在する最古の地層である、約5億年前のカンブリア紀の地層を見ることができます。

日本最古・5億年の石をめぐる散策コースを、以下のファイルでご紹介しています。ぜひ、印刷して手に持ち出かけてみましょう!

※よりシンプルな、日本最古の地層観察地点のウォーキングマップはこちらから。

 

自動車 移動時間:自動車35分

 

鵜の岬

鵜の岬

伊師浜海岸から南に約3kmに渡って、波に削られてできた険しい海食崖が続きます。この海食崖には休息のため、外敵の少ない場所を求め、日立市の鳥である「ウミウ」が渡来します。「鵜の岬」には、日本で唯一のウミウの捕獲場があり、ここで捕獲されたウミウが全国の鵜飼いのもとで活躍しています。

 

日立鉱山の歴史

①日立鉱山のはじまり

明治38年、久原房之助が当時経営不振で苦しんでいた茨城県の赤沢銅山を買収、改称し「日立鉱山」として開業しました。そこからわずか数年で日本四大鉱山の1つに数えられるまでに成長し、地元住民に反映をもたらしました。

①日立鉱山のはじまり

②煙害の発生と煙突

しかし、一方で、銅の製錬により発生した亜硫酸ガスにより、たばこや稲作などが大きな被害を受けました。その解決策として煙突が建設されました。当時の煙害の対策の主流は、煙突をできるだけ低くし、途中で空気と混ぜて薄めてから煙を排出するというものでした。しかしその考えで作られた2つの煙突は失敗し、久原はより高い煙突を経てて上空で拡散することを考え、大正3年に大煙突を建造しました。この大煙突は見事煙害を減らし、環境負荷が少ない自溶炉が稼働を始める昭和47年まで、煙害対策に重要な役割を果たしました。

③閉山と煙突の倒壊

昭和56年、鉱石量の減少を受け、日立鉱山は閉山しました。久原が操業を始めて76年後のことでした。煙害対策の金字塔であった大煙突は、平成5年に約2/3が崩壊してしまいましたが、翌年に上部を修復され高さ54mの煙突として、今も日立鉱山と人々との共生の象徴となっています。

③閉山と煙突の倒壊

日立の変成岩

日立の変成岩

ポイント3は沢を上流へ登るため足場が悪いので、注意して行ってみましょう!県道10号から車で5分。その後徒歩10分です。

 

変成作用とは

ポイント3周辺の地質は変成作用というものを受けています。変成作用というのは、岩が高温高圧の所で異なる岩になってしまうことで、マグマの熱で変成する「接触変成作用」と、プレート運動等によって熱と圧力を受けて編成する「広域変成作用」の2つに分けられます。

変成作用とは

 

 

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