水戸・千波湖ジオサイト

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水戸のまちの中心に位置する千波湖は歴史や産業に深く関わってきました。千波湖周辺の地形、地質を見て廻ると私たち先人の辿った歴史のまち水戸の足跡が見えてきます。上市、東茨城台地は水戸層を基盤とし、台地は見和層、上市レキ層のレキを主体とする地層からなります。千波湖など低地は那珂川の氾濫で深く削られた川底に柔らかい粘土が堆積しています。台地に蓄えられた地下水は斜面から千波湖に流れ、豊かな水辺環境をつくり上げています。

柳崎貝塚

柳崎貝塚
柳崎貝塚は約6000年前の縄文時代に形成された貝塚です。千波湖にのぞむ柳崎貝塚は現在の海岸線から約13km離れ、海抜約20mの位置にあります。縄文人たちはわざわざここまで貝を捨てに来ていたのでしょうか?実は、縄文時代早期末~前期前半(約6000~6500年前)は温暖だったため海水面が現在よりも高く、この地域まで海が入ってきていたのです。これを縄文海進といいます。 このことは柳崎貝塚でヤマトシジミ、稀にタニシ、ハマグリ、カキといった海水と淡水の混じり合う汽水環境に生息する貝類が発見されていますことからも言えます。水戸周辺では吉田貝塚・谷田貝塚・大串貝塚などが発見され、柳崎貝塚はこの中で一番陸側に位置します。

 
徒歩 移動時間:徒歩10分
 

水戸の台地

水戸の台地
この場所から千波湖の向こう側を見てみましょう。向こう側がここより高くなっているのがわかります。この高くなっているのが台地です。実は今いる場所と向こう側の台地では地下構造が異なっているのです。

 

徒歩 移動時間:徒歩15分

 

台地の構造

台地の構造
この場所で全面に見える灰白色の地層は、人類が誕生する前にできた地層です。この地層はとても小さな粒の泥の堆積物でできています。約600万年前より昔 (第三紀中新世末)、氷河期が終わり温暖な気候になりました。そして氷が溶けて海水が増え、海面が上昇し海が陸にまで広がる海進が起こりました。その時堆積したのがこの泥の岩です。この地層は水戸層と呼ばれ、水戸の台地の基盤になってます。さらに水戸層の上をよく観察すると、握りこぶしくらいの大きさの丸みを帯びた石がゴロゴロしています、このように2mmより大きな粒の石をレキと言い、レキを含む地層をレキ層と呼びます。ここでみられるこのレキをよく見ると河原に転がっている石に似ていませんか?実はこのレキ、昔の那珂川の河原の堆積物なのです。この層は年代がはっきりしませんが、水戸層ができてから何百万年も後にできたものです。といっても今から何万年も前の話ですが・・・。
ここで観察できる灰白色の泥の層に水をぜひ流してみてください。水がなかなか吸収されないのが観察できます。実はこの層は水を通しにくい難透水層なのです。このポイントから先の公園内でもこの層を観察できるので是非見てください。おそらくそこではこの層から水が湧き出してきているでしょう。この層が水を通しにくいということに注目した水戸光圀は、水戸下町の給水難を解消するべく、この泥岩も用いて笠原水道という約10kmに及ぶ当時としては巨大な水道を作りました。
いことなどを想像しながら下ってみてください。

 
徒歩 移動時間:徒歩25分
 

台地と低地を繋ぐ「銀杏坂」

台地と低地を繋ぐ「銀杏坂」
この坂は台地と低地をつないでいる比較的ゆるやかな坂です。今では考えられませんが、昔台地の下は水の中だったので、この坂の下は千波湖だったのです。 銀杏坂は水戸の台地と低地を結んでいる比較的ゆるやかな坂です。銀杏坂を下るということは台地の上から再び低地に戻るということです。 
大昔海がすぐそこまで入ってきていたこと、千波湖が大きかったこと,低地の堆積物は台地よりも新しくやわらかいことなどを想像しながら下ってみてください。

 

千波湖の歴史

形を変えた千波湖

今から約90年前まで、千波湖の大きさは現在の3倍ちかくもあったのを知っていますか?
実は、今の駅南地区辺りまで大きな湖がありました。では、どのようにして現在の千波湖が出来たのでしょうか

千波湖は昔から人々の生活と深くかかわってきました。江戸時代には、水戸城の外堀と水田の用水源の役割を持っていました。

形を変えた千波湖

 

大正の初めに用水の不足が問題となり、埋め立て計画の実施が決定したのは大正9年のことです。
翌年県が行ったこの事業により、千波湖の3分の2が耕地になり、残った部分は貯水池として利用されました。

形を変えた千波湖

 

昭和25年千波湖周辺の水田化が終わります。その後千波湖周辺を公園化する工事が始まりました。
駅南地区では区画整備が行われ、市役所が移転したり、後に水戸駅南口が完成します。水田だった千波湖干拓地の市街地化も計画されました。

形を変えた千波湖

 

現在の地図に昔の千波湖を重ね合わせてみると、水戸駅南側は、昔の千波湖の中にあります。
では、台地上の①と、昔湖だった②の地盤の違いを見てみましょう。数万年前に蓄積した地点①は固い地層から成っていますが、地点②は人工的に埋め立てられた場所まで、地下25~30らいまで新しい人工的な地層です。①の詳しい地質については、観光ポイント’水戸の台地’をご覧ください。

形を変えた千波湖

千波湖の成り立ち

今から約2万年前、地球は氷河時代でした。そのため、地球の水分は降雪や氷河によって陸上に閉じ込められ、海水面は現在よりも低いところにありました。海面が低下すると河川の流れは急になり、浸食力が強まって陸地に深い谷を作り出しました。千波湖形成に重要な那珂川と桜川も深い谷を作っていました。
千波湖の成り立ち

 

今から1万2千年前頃から、地球は温暖化し、約6000年ほど前には海水面は現在よりも約6メートル上昇しました。海水面の上昇に伴い、那珂川は運搬力を弱め、土砂を下流部に蓄積させました。
千波湖の成り立ち

 

その後、海水面は低下していきました。那珂川の堆積物により出口が埋め立てられ、入江が取り残されるかたちとなりました。桜川がせき止められることで、現在の下市から三川町周辺まで浅い沼が形成されました。これが千波湖の原型です。
千波湖の成り立ち

 

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